愛の哲学【初めて人を好きになった時の話】妄想99%

愛の哲学 オッドリアル
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こっさんこと、コーシュカ@猫(@koshkablog)さんに触発されて、人生初の恋愛コラム(?)を書こうと思う。

これは僕が初めて人を好きになった時の話だが、大して語れることがないので妄想99%(こっさんの了承済み)でお送りする。

妄想が故にかなりキモい内容になっている食後は見ない方がいいかもしれない。

では、いってみよう!(?)

こっさんとは

と、その前にこっさんについて少しだけ説明というか紹介したい。

こっさんとは、Twitterで(コーシュカ@猫)という名前で活動しているめちゃくちゃ歌が上手い猫である。

『コーシュカ』というのはロシア語で『猫』という意味らしいので、訳すと『猫@猫』ということになり、寺門ジモン(寺門)を彷彿とさせるようなネーミングセンスだ。

彼女は現在、恋愛黒歴史を執筆中で、これまたドラマ化確定並みに面白いから是非、観て欲しい。

忘れかけていたトキメキを思い出させてくれる(?)バチバチの恋愛小説だ(?)

コーシュカさんの恋愛黒歴史はこちら
⇨コーシュカさんの恋愛黒歴史

初めて人を好きになったときの話

では、ここから僕の初恋の話に移行する。

(と言っても本当に大した物語はない)

僕の初恋は多分18歳の時だ。

一応、中学生の時に彼女という存在はいたのだけど、「好きか?」と聞かれると全くそんなことはなかった。

正直、人を好きになるなんて都市伝説か、みんながノリで合わせて言ってるだけだと、当時は本気で思っていた。

今の僕からすると、クソみたいな話だし、本当に申し訳なく思っている。

今でも当時のことをちゃんと改めて謝りたい。

(相手からすると迷惑かもしれないし、触れて欲しくもないのかもしれないけど)

出会いはふとした瞬間

彼女Nとの出会いは友達のバイト先に遊びに行った時のこと。

ほぼ一目惚れに等しかった。

何だか分からないけど「ビビっと」きたので速攻、メールアドレスを聞いた。

僕の目からは相手も快く、教えてくれたように見えたが、実際どうだったのだろう・・・

でメールして、メールして、電話した。

初めて人を好きになったもんだから、どうして良いか分からなかったが、とにかくめちゃくちゃ連絡したのは覚えている。

当時はカケホーダイなんてプランはなく、携帯の通話料金は毎月4、5万円と馬鹿げた値段でも安く感じたほどだ。

人を好きになるって凄いことだね、本当。

僕とは不釣り合いな彼女N

彼女Nは僕史上、圧倒的No1の可愛さを誇っていた。

少しタレ目で、話し方が柔らかく、声も性格も全部可愛い。

見た瞬間、「抱きしめたい」が止まらないほど可愛いのである。

全ての人がそう思うかは分からないが、僕の主観では間違いなくNo1だ。

というか僕だけが、そう思ってれば良い。

他の人間に彼女を「抱きしめたい」なんて思われたくもない。

話しても欲しくないし、見て欲しくもない。

もう、僕だけの世界に閉じ込めたいのだ。

(僕の愛は割と歪んでるかもしれない)

そんな彼女Nは大学を一浪していて、目標としている大学に受かるため毎日、毎日勉強三昧。

勉強の邪魔をしちゃ悪いなとは思いつつも、すぐにご飯に誘ってしまうという、よくいる「相手のため」とか言いながら全部自分のエゴで動いてる感満載のゴミクズ野郎の僕。

そんな日々を送っていると、ある日彼女Nの方から、帰り道に電話がしたいと言われめちゃくちゃ舞い上がったのを覚えている。

そして、この電話で僕はあることに気がついた。

好きな人の好きな人

いつもご飯を食べたらすぐに家の下まで送って別れるだけだったのだけど、その日は彼女からの提案で、少しだけ散歩をすることになった。

いつも僕発信だったから彼女からの提案がすごく嬉しくてウキウキしながら、人気の少ない川沿いを歩いていると、手を握りたいという気持ちになる。

気持ちのまま行動に移し、そっと彼女の手を握って、顔を見ると「ん?どうしたの?」みたいな反応をしていた。(というか言われた気がする・・・)

僕はこの瞬間、確信した。

(あー、男として見られていないな)

僕「んーん、どんな反応するかなと思って!」

彼女N「ふふふ、変なの」

その日は隠れんぼで見つかってしまった時のような「あーあ」という残念な気持ちを抱えながら彼女を家まで送り、後日彼女から好きな人がいることを告げられた。

ビビって終わり

物語はここで終わり。

僕は彼女Nから好きな人がいると告げられビビって、何もできずに終わった。

何とも呆気ない終わりである。

僕の初恋とやらは、草が揺れるぐらいの臆病風に吹かれて消え去った。

妄想の始まり

ここからは僕の妄想パートだ。

もし、彼女と発展してたら、という都合の良い妄想だけを気持ち悪いほどの書き綴っていくだけの文章術!

黒歴史を現在進行形で発行していくから是非、気持ち悪いという感情に焼かれて死にたい人は最後まで読んでくれ!!!←

喧嘩しないほど仲が良い

そんなこんなで、彼女Nと僕は付き合うことになった。

そこからはずっと幸せな関係が続く。

世の中には「喧嘩するほど仲が良い」という言葉があるし、実際に「ぶつかり合うべきだ」という声もあるだろう。

だけど、僕たちは喧嘩の1つもしない。

互いを尊敬しあい、いつも笑顔の絶えない関係を続ける。

喧嘩なんてしないに越したことはないのだ。

ぶつかって、より愛が深まる?

僕は一度だって彼女にぶつかって痛い思いをさせるなんて絶対にしたくない。

『痛い』ではなくずっと笑わせて『いたい』のだ。←

七つの大罪を撃破

人には七つの大罪が存在する。

『傲慢』『憤怒』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』『嫉妬』

僕らの関係はこの七つの大罪すらも超越する。

まず『傲慢』は互いにプライドを捨てた素直な関係を築くことで撃破!

『憤怒』は互いの笑顔見ることで打ち滅ぼし撃破!!

『怠惰』は互いを助け合うという気持ちが溢れて撃破!!!

『強欲』は互いに『今』を生きることで撃破!!!!

『暴食』は互いに運動をすることで撃破!!!!!

『色欲』は互いを想い合うだけで撃破!!!!!!

『嫉妬』は互い以外が行方不明になることで撃破!!!!!!!

僕たちの愛を遮るものは木っ端微塵なのだ。

良い関係の秘訣

恋愛工学かなんかでたまに見かける、『異性の落とし方』だとか『良好な関係の築き方』みたいなのがある。

大体、中身は『相手を揺さぶれ』とか『他に異性の影を散らつかせろ』みたいなものだと相場が決まっている。(偏見)

自分のために愛する人を少しでも嫌な思いをさせることに、どれだけの価値があるのだろう。

僕からするとあんなのはハッキリ言ってクソだ。

愛する人に振り向いてもらいたいなら、まっすぐ目を見て愛を告げる以上のことはない。(ビビってできなかったけど妄想だから許して)

恥ずかしげもなく、愛を叫ぶんだ。

どうせ、人はただ生きているだけで、嫉妬も心配も不安も湧いてきてしまう。

なら僕はそんな負の感情を取り除くために全力を尽くすべきだろう。

少なくとも僕はそんな人間の方がカッコいいと思うし、そうありたい。

(こんなことを言ってるから僕は良い恋愛をできないのかもしれないが、僕はそれで良いと思ってる)

愛の哲学

妄想もほどほどに今回の記事の締め。

これは持論だが、人は他者を愛せる総量が決まっていると思う。

ここでの「愛」とはあくまで「恋愛」のことであり「友愛」や「家族愛」は含まれない。(もしかしたら、友愛や家族愛にも限りがあるのかもしれない)

この「愛の総量」には個人差があり、沢山の愛を持つ人もいれば、あまり持たない人もいる。

僕は残念ながら後者だろう。

「愛の総量」は天性的なものもあるかもしれないが、幼い頃の育つ環境が最も大きく影響するのではないかと僕は考えている。

幼い頃に愛情を注がれ育てば、愛の溢れる人になるし、そうでなければ愛に乏しい人間になる。

そして誰かを愛せば、この「愛の総量」は減ってしまう。

だから、人は愛したはずの者を「自分の愛(有限)をあげたのに」と恨んだり、憎んだりすることもある。

それも愛せば愛すほどに・・・

愛が無限であるならば、きっと憎む必要もないはずだ。

だが、ここで僕が言いたいのは、『愛が多ければ良い』『愛が少ないからダメ』ということではない。

もちろん、多いに越したことはないだろうが、それはお金と同じ。

大切なのは、たくさん持っていることではなく『愛し方』だ。

いくらお金をたくさん持っていたとしても、散財し何も残らないような使い方をすれば虚しいだけだし、多くの人から反感も買うだろう。

しかし、少ない金額でも心を満たす使い方ができれば、幸せだし裕福だ。

僕の持っている「愛の総量」は確かに少ないかもしれない。

だけど、それ故に愛の貴重さも理解している。

この考え方には賛否あると思うが、別にどうでも良い←

証明のしようがないから、あくまで一つの考え方だと思ってくれると幸いである。

そして、この記事を読んでくれた全ての人に今一度、愛について考えて欲しい。

自分の愛する人に悲しい思いはさせていないだろうか?

いつの間にか、愛を蔑ろにしていないだろうか?

『今』があるのは当たり前のことでない。

そう思えば、きっと愛する人を『今』以上に大切にすることができるだろう。

3年以上彼女のいない僕が言うんだ間違いない←

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